医事惑問

自序

漢書に曰く「病有りて治せざれば、常に中医を得、悲しきかな」と。
漢の時すら、医者のたのみがたきを見るべし。
いわんや後世においておや。
それ医術つたえやすくして、得る事かたし。
是れをうるに、道をもってせざれば得がたし。
其の道に正道あり、邪道あり。
正道なれば、まよわずして得やすく、邪道なれば、まよいて得る事かたし。
仮令人を教える事ならずとも、むしろ人を迷わす事なからんか。

いま吾が道をそしりて、人をまどわす事を聞くに任せ、其のそしることばを問とし、其のまよいをとかば、病を治するの一助ともなり、病家、中医を得るの道ともなれかしと、やまとことばにつづりて、俗人の通暁し易からん事をこいねがう。
ただ朝なゆうな医道の得がたきをうれい、医人のなき事をかなしむのこころ、胸中に鬱してやまず。
終いに言葉に発して、医を知らざる人の、医にまどわざらんたすけてもなれかし、と思い侍るのみとしかいう。

明和六己丑仲春
阿岐 吉益 為則 題

 
医事惑問 巻上

一、或いは問うて曰く「医家のわかれたる事いかん」と。

答えて曰く、「古昔、医者三あり。曰く疾医、曰く陰陽医、曰く、仙家医、是れなり。
『周礼』に謂う所の疾医は、病毒の所在を見定め、其の毒に方を処して病毒を取り去るゆえ、諸病疾苦尽く治す。
扁鵲、仲景のする所是れなり。
陰陽医は、病の所在を視ずして、唯だ陰陽五行、相生相剋、経絡等を以って病を論ず。
皆臆見ゆえ、手に取りて治することあたわず。
漢の太倉公是れなり。
仙家医は、気を煉り、或いは煉丹を服し、人をして造花にひとしくせん事を学ぶゆえ、行う人すくなく、害も亦たすくなし。
葛洪、陶弘景、孫思?等是れなり。

夫れ疾医は、万病唯だ一毒という事を疑いなく会得し、此の薬方にて、此の病毒解するという事を心に覚えるゆえ、病治せざる事なし。
陰陽医は、五藏六府、陰陽五行、相生相剋の事を、書籍にて見覚え、理をもって病を論じ、手に覚ゆる事なく、臆見にてするゆえ、却って其の術なしやすきようにはあれど、実に病を治する事あたわず。
其の陰陽医さえ、病を治する事あたわざるに、陶弘景、孫思?の類、専ら仙家の術を学び、彼の陰陽医に仙家の方を混じたり。
是れを今の医、中奥の医と尊信するゆえ、いよいよ扁鵲、仲景の道絶え、其の後一書一人、疾医の道を論ずる事を聞かず。
其の根元、漢の太倉公なれば、既に二千余年絶えたり。
嗚呼、悲しきかな。
天下人民の疾に苦しむ事。
医道の絶えたるをしらんとならば、『医事古言』にて考うべし。」と。


二、或いは問うて曰く「今の医方にても病治し、疾医の方にても死す。何をもってか善悪をわかたんや」と。

答えて曰く、「死生は、人の預かる事にあらず。天の命なり。
故に古今の名医、扁鵲の曰く『越人は、能く死人を生かすに非らざるなり。此れ自ら当に生くべき者を、越人は、能く之れを起たしむるのみ』と。
扁鵲すら死ぬる人を生かす事あたわず。
いわんや、今の医においてをや。
医者は、唯だ病毒を去りて、人の疾苦を救う事なり。
其の術を覚えたるこそ、真の医なり。
覚えざるは、医者にあらず。
覚えたる医者は、此の病は、此の薬にて治するという事を、心に決定するゆえ、一度方を処しより、其の病疾の尽くまでは、其の薬をかえず、終いに毒去りて病治す。
是れ治する事をしりたる故なり。
又、覚えざる医者は、心に疑い生ずるゆえ、日々に方をかえ、日々に加減するなり。
何としてか、病を治する事をしらんや。
然るに、今の方にて治するといえる事、信用しがたし。

夫れ病毒の動く事、必ず休息あり。
病の静まれる時節に用いたる薬方は、其の方にて治したるように思えども、其の薬の功にあらず。
毒の静まりたるなり。
故にかさねて発したる時、其の方を用ゆれども、治せずして方を変えるなり。
是れにて見れば、以前の薬にて治したるにあらざる事明らけし。
又、相藥というて、用いる度に静まる事あり。
是れは、薬を用いず捨ておきても、しずまるものなり。
それをしらずして、相藥とおもうは迷なり。
相応の薬は、かならず毒にあたり、瞑眩して病治す。
其の毒にあたる時は、気色あしくなるゆえ、不相応なるようにおもえども、能く病の治するを以って相応の薬とおもうべし。」と。


三、或いは問うて曰く「毒を去りて病の治すると、又、病毒おのずから静まりて、薬の功にあらずという事、医にありざれば、知りがたきか」と。

答えて曰く、「是れ実事ゆえ、誰にても知る事なり。
しかれども尋常の病にては、其のしるし微妙なるゆえ、分かれがたし。
能くわかるるものは、世に謂う所の、傷寒、時疫、痢病抔(など)とて、生死十日か、二十日にわかるる大切の病人なり。
是れを、当時世上に、上手という医者、十人見て十人ながら、必死というなれば、大病に疑いなし。
其の時、各の必死ときわめ給う病人は、皆かならず死するかと問うに、彼の医者いわん『死ぬるもあり、生くるもあり』と。
是れ生死の知らざる証拠なり。
生死は、もとより造化の司にして、人の知らるる事にあらず。
医者の主る所は、疾なり。
其の病を治すれば、天年のつきざる人は、皆生くるものなり。
又、『此の人若し生くる時は、何程経て常に復するぞ』と問うべし。
其の時ありあう医者、十人が十人ながら、『かようの病人は生くるとも、八九十日も経ざれば、常に復せぬものなり』といわん。
是れは実事ゆえ、其のいう事違わず。
亦た俗人の、病に巧者なるものに問うても、医の言葉と同じ。
然るに、其の病人を其の日より預り、毒の所在を見て方を処して、其の病毒を去るに、天年つきざる人は、三十日ばかりには常に復す。
是れ始終毒を去るより外の事はせぬ故なり。
又、補剤にて養うという療治にては、八九十日も経ざれば、常に復する事あたわず。
其の違う事五六十日なり。
又、病名、病因を論ずる医者は、至りて巧者に聞こゆれども、其の人毎に目利の違うものなり。
是れ皆空論にて、見定める事あたわざるゆえ、初めつけたる薬方を其の病の治するまで用ゆる事あたわず。
日々に方かえ、或いは加減するなり。
是れしかと治する事をしらぬ故なり。
然れども適治する事あり。
是れは、死なぬによりて生きたるという者なり。
治する事を知らざるは、方のかわるにて知るべし。
夫れ医者は、病毒のうかがいよう、又、薬の方、道をしらざれば、病を治する事あたわず。
医者の病を治するは、薬なり。
譬えば大将の士卒をつかうがごとし。
其の士卒に恐れありて、掛引心の侭(まま)ならざれば、軍は成りがたし。
病を治するも、其の薬に恐れありて、用ゆる事自由ならざれば、病も治せざるなり」と。


四、或いは問うて曰く「先生は、用いる薬の効もなきに、半年も一年も、其の薬方をかえざる事いかん」と。

答えて曰く、「是れ病を治する事の手に入りたる人にあらざれば、為す事かたし。
病に名をつけ、病因を論ずるは、もと臆見ゆえに、十日も其の薬方の効なき時は、心に疑いおこりて方をかゆるなり。
扁鵲のごとき疾医は、病毒を見て、此の毒は、此の薬にて治するという事を心に決定するゆえ、たとい薬の効なきとても、病の治する迄は薬方をかえざるなり。
其の内に自然と病毒の動く時あり。
動くときは、大いに瞑眩して、病治するものなり。
病治したるあとにて見れば、其の薬方かわりては治せぬ事知るなり。
又、其の病に中る、あたらざるをしらず、唯だ方をかえぬ事を自慢して、人を惑わすものあり。
是れは、無法者のする事なり。
必ず惑うべからず。
是れを糺さんと思わば、其の病人の治しようを問うべし。
彼の無法者は、行いて覚えたる事なく、口にまかせていいちらし、気象に任せて答える故、始終一定ならぬものなり。
又、能く病を治する人は、覚えたる事の外は、いわざる故、其の言葉ことごとく違う事なく、又、病人変ありても驚かず。
薬のしるしなけれども、其の病証変ぜざれば、いつ迄も其の薬を用いる故、終いにしるしあり。
是れを以って効なきとても、一年も半年も、其の方を用いる事知るべし」と。


五、或いは問うて曰く「聖人の道も、医の道も、漢にて絶ゆという事いかん」と。

答えて曰く、「聖人の道の絶えたる事は、孟子、荀子などより始まる。
既に『論語』に、子貢曰く「夫子の性と天道とを言うは、得て聞くべからざるなり」と。
子貢すら得て聞くべからずといえる事を、荀子は、性悪といい、孟子は性善といい、各の常言にして説けるゆえ、終いに気の穿鑿はじまる。
性と天道とは、造化の事にして、人事にあらず。
しかるに、是れを説く故に、終いに聖人の道絶えたるなり。
聖人の道は、実事を行ない、身に得て後にいい、行なわざる事はいわず。
性と天道とは、理にして心に得るのみ、必ずいうべからず。
故に孔子も罕(まれ)にのたまい、子貢も得て聞くべからずといえり。

聖人の道絶えてより、往々陰陽五行をもって理窟を云いしゆえ、扁鵲のごとき疾医の道絶え、太倉公のごとき陰陽医のみになりたるなり。
扁鵲抔(など)は、すべて造化の司事をいわず。
病毒の形状を見て、其の毒を去り、病苦を救う事を覚えたるもの故、千歳を経るといえども、術にかけて違う事なし。
聖人は、みずから行いたる事は知りたるといい、身に行わぬ事は、大かた知りたる事にても知らぬと云い給うゆえ、いう程の事少しも違う事なきものなり」と。


六、或いは問うて曰く「後世の医者は、風寒暑湿燥火の六気に傷られて病を生ずるという。疾医は、傷らるる事なしという。いかん」と。

答えて曰く、「風寒暑湿燥火は、天の六気にして、万物、生長、収蔵する天の正令なり。
何ぞ天の人を傷る道理あらんや。
若し是れあらば、天の私なり。
いかんとなれば、天下万民ことごとく六気の内に生まれ、朝夕あたらぬ人はなけれども、傷るると、やぶられざるとあり、何ぞ天より是れをわかち罰することあらんや。
若し又、天の罰するならば、いかで薬にて治せん。
能く考うべし。
余、古昔、名医の法に随い、療治して考えるに、六気の病とて、外に治する薬方なし。
唯だ扁鵲、仲景のごとく、病毒に方を処すれば、汗吐下和して、万病治す。
彼の六気に傷られやすきという人も、其の毒を去る時は、再び風寒にあうといえども、傷られざるにて知るべし」と。


七、或いは問うて曰く「風にあたりて、風の病を生じ、食物にあたりて腹痛し、まさしく其の食物を吐すれば腹痛やむ。
是れをもって見れば、食にも、外来の邪気にも傷られぬとはいいがたし」と。

答えて曰く、「万人同じ風にあたれども、傷るるもあり、傷られぬもあり、又、同じ物を食しても、食傷する人もあり、せぬ人もあり、是れ皆傷らるるにあらず。
天の気に感じて、腹中の毒動く故なり。
其の毒を取りされば、風に傷られ、或いは食に傷られやすきという人、何程風にあたりても、何を食しても傷らるる事なきものなり。
夫れ食物にすき嫌いあり、嫌う物は、腹中の毒にあたるゆえ、嫌うなり。
其の毒を取りされば、嫌いし物もすきになり、食すればあたりて腹痛するという物も、あたらざるなり。
是れをもって風も、食も、傷る物にあらず。
腹中の毒動いて、気をわずらわしむるという事を知るべし」と。


八、或いは問うて曰く「『内経』その他諸家には、五蔵の積(しゃく)を説く。疾医は、唯だ一毒というて、五蔵の説を取らざる事、いかん」と。

答えて曰く、「臓腑の事、『周礼』『管子』抔(など)にあれども、後世にいう五臓六腑の事にあらず。
後世にいう五臓六腑の事は、漢に至り、陰陽医盛んになりて後の説なり。
『内経』抔(など)に、心積、脾積、肝積、腎積等の事を詳に論じ、此の病は、此の薬にて治するという。
其の理は、甚だ巧者に聞ゆれども、今用ゆるに薬効なし。
腹中の事は外より見えずして、皆推量なるゆえに、五臓の説はとらざるなり」と。


九、或いは問うて曰く「生死を知らずといえるは、強き剤を専ら用い、死したる時の云いわけという者あり、いかん」と。

答えて曰く、「生死を知らぬという事は、衆人畏(おそ)るる筈なり。
しかれども媚諛(びゆ)、いいわけする心なし。若し云いわけならば、畏れぬ事をいかようとも工夫すべき事なれども、生死は元よりしらぬ事ゆえ、しらぬというなり。
聖人も『死生命あり』との給いて、人のしらるる事にあらず。
其のしられぬ事をしらんとするゆえ、療治に迷う事あり。
凡そ人間の大切にするは命なり。
其の生死の二つ、既に生るる時に、生は済みて、死ばかり残りたる人ゆえ、若し変ずれば、死するより外はなき人なり。
其の人を預るというは、甚だあぶなき事なり。
殊に大切の病人に至り、若し死してはとおもう心ある時は、心気惑乱して病証も見えず。
唯だ死というに目くれて、療治を施すあたわず。
惘然(ぼうぜん)たる事俗人にも劣る。
是れ生死を知るというといえども、実に生死をしらざる故なり。
医者は、只病苦を救うのみにて、生死は天の司所と決定すれば、迷う事なし。
それゆえ衆医の必死ときわめたる病人の全快する事あり。
然れば、生死をしらぬという事、医者の要言なり。
生死を知らぬという事、口にはいえど、心に覚悟しがたし。
心に覚悟せざれば、医といいがたし。

『古昔(むかし)、扁鵲、?(かく)を過ぐるに、太子、暴かに?して死す。』
しかるに扁鵲、療治して蘇えれり。
故に天下の人、稱美(しょうび)して、『扁鵲、能く死人を生かすと為す』という。
しかれども扁鵲は、受けずして、『越人は、能く死人を生かすにあらざるなり。此れ自ずから当に生くべき者を越人、能く之れを起たしむるのみ』といえり。
是れをもって、生死は、医者の預からざる事をしるべし。

余、前かた、京師祇園町、伊勢屋長兵衛という者を療治したる事あり。
その病人、泄瀉の症にて世医治しがたしという。
則ち余をまねく。
行きて是れを診るに、心下痞?、水瀉、?逆して、まさに絶えんとす。
余曰く、此の方(かた)の療治は、世上大いに恐るるなり。
其の故は、今の医の甚だやわらかなると云う薬も、此の方に用い、病に的中する時は、大いに瞑眩するなり。
その瞑眩に恐れては、療治せぬものなりといいければ、病家の者会得して薬を乞う。
すなわち生姜瀉心湯を三貼用いければ、其の日七つ時分、大いに吐瀉して、病人気絶す。
是れによりて、家内大いに騒動し、医を集めて診せしむれば、皆死したりというて帰る。
それゆえ、急に余を招く。
又行きて是れを診すれば、色、脈、呼吸皆絶えたり。
家内の者も死せりとす。
『まことに死したるように見ゆれども、其の形状にうたがいあり。且つ死してより漸(ようや)く二時ばかりなり。
先ず静りて、いよいよ死したるか、死なざるかを見合すべし。
薬は前方を口に入れて、通らば又入れるべし』というて帰りける。

其の夜九つ時分、病人、夢さめたるごとく目をひらき、『一類眷属集り居るは何故ぞ』と問う。
一類の者もおどろきていうようは、『今日七つ時分より只今まで、呼吸、色脈ともに絶えたり、医者を集めて見せけれども、死人に薬なしといいて帰りける。それゆえ、皆々あつまり居る』といいければ、病人もふしぎに思い、昼の内大いに瀉したり。
其の後一向病苦もなく、寝たるように覚えたり。
もはや気力もよくなりたる程に、皆々帰るべしといいけれども、一族のものはいぶかしくおもい、昼見せたる近所の医をまねきて、診察せしむるに、『脈も常のごとく、何も病なし』というて帰りけるゆえ、いよいよ病人、気力を得、『何分帰るべし』といいければ、一族のものも帰りける。
其のあとにて甚だ飢えたりというて、茶漬三椀を食し、悦びて寝る。
翌朝益す丈夫になり、多年の病を忘れけり。
此の人、幼少より食物あたるゆえ、白粥んて養育せられ、四十あまりになりても、喰いなれぬ物をくえば、直にあたるゆえ、食う事あたわず。
しかるに右の療治して後、何を食うてもあたる事なく、七十までも壮健に暮しけり。
此の病人も、最初毒を見て、其の毒に方をつけて療治するのみ。
さいしょより、死するも生きるもしらずして薬をあたえけるに、かくのごとくなりたるは、死なぬ者ゆえ生きたというものなり。
何国の病人を預りても、生死をしらぬというゆえに、恐るる人多し、然れども生死を知るというより、知らぬという療治に効のある事考うべし。

前かた、或老人、余を諫たる事有り。
『足下、平日生死をしらぬといえるゆえ、世上の人大いに恐る。其の事をいわずして療治をほどこし給わば、たのむ人も多く、人をたすくる事も多からん』といえり。
ひそかに是れを考うるに、我を世に顕わさんとて、深切におしえ給う事、甚だかたじけなき事なれども、もとより生死はしらぬ事なり。
たとえ世に行わるるといえども、偽もいわれず、長者の諫らるる事ゆえ、辞退もなりがたし。
しかしながら、人の疾苦を救い、吾が道を末世に伝えて、人のたすけにならん事、年来の志願なれば、たとえ医術行われず、餓死に及ぶとも、道をば違うべからず。

古昔、顏淵曰く『夫子の道は、至りて大なる故に、天下能く容ること莫し。然ると雖も、夫子は推して之れを行い、容れざれば、何病も容れず、然る後君子を見る。夫れ道の修めざるや、是れ吾が醜なり。夫れ道既に已み、大いに修して用いざれば、是れ国有る者の醜なり。容れざれば、何病も容れず、然る後君子を見る』と。
医も亦た然り。
二千年絶えたる道を起て行う事なれば、たとえ餓死に及ぶとも、此の道世に行われば、吾が生涯の本望なり。
折角諫められし事なれども、かくのごとく道の大事なれば、いい死に死すべしと辞しければ、彼の老人憮然としてされり。
しかれども道にそむき、人の好きようにせん事、吾れする所にあらず。
生死のわけ明かならざれば、医術を得る事あたわざる故なり。
なんぞいいわけにすべけんや。
云いわけにあらざる時は、病の治するをもって知るべし」と。


十、或いは問うて曰く「太倉公は、古昔の名医にして『史記』にも、扁鵲とならべて称せり。其の太倉公は、専ら生死の事をいえり。然るに先生は生死にかかわらずといえる。いかん」と。

答えて曰く、「太倉公は陰陽医なり。疾医にあらざる事は、首章にて見るべし。
扁鵲は疾医なり。
其の道、後漢の張仲景に伝わり、仲景歿して後、絶えて伝える者なし。
今の医者は、ことごとく太倉公が流れにて、二千年このかた一人も疾医の道を行うものなし。
専ら生死を論ずれども、実に生死をしらざる証拠には、『史記』太倉公が伝にも、斉王、太倉公に問う『病を診し、死生を決するに、能く全を失すること無きか』と。
臣意(太倉公の名なり)対(こた)えて曰く『意(おもう)に病人を治すには、必ず先ず其の脈を切し、乃ち之れを治す。其の敗逆なるは治すべからず、其の順なるは乃ち之れ治す。脈を精しくせざれば、死生を期する所に非らず。治すべきと視れど、時々之れを失す。臣意も全(まった)きこと能わざるなり』とあり。
其の能く知るという太倉公が論じても、尽くあたらず。
又、生死を知らぬという余にても、手馴れたる事ゆえ、十に七八は違うことなし。
然れば知るという太倉公も、知らぬという余も、同じ事なり。
前にもいうごとく、死生は造化の司にて、人間の論じ知るべき道理なし。
専ら生死をしるという太倉公も、実はしらざる事、前にいう言葉にて明らかなり」と。


十一、或いは問うて曰く「古方を信ずる人は、後世の医者を用いず。後世の医者を信ずる人は、古方を恐れて用いず。又、古方の療治を受けても快気せぬ人は、猶恐るる事甚し。いかん」と。

答えて曰く、「瞑眩すれば甚だくるしむ事なれども、其のあと、快き事を知りたる人は、幾度も用い、病毒尽くるまで服用するゆえ、終いに全快し、瞑眩せざれば病の治せぬという事を能く知るなり。
それゆえ、後世の薬を用ゆべき道理なし。
又、後世の医を信ずる人の目には、古方の療治、甚だあらきように見ゆるゆえ、用いぬはずなり。
又、古方の療治を受けて快気せぬ人は、猶恐るるといえるは、療治に預りて成し遂げざる人なり。
是れは、いまだ用いざる人より甚しく恐るる筈なり。
藥功のある時は、必ず瞑眩し、すでに死なんとおもう程に苦しむ事あり。
しかれども薬にて為したる事ゆえ、二時斗(ばかり)すれば、薬気尽て、夢のさめたるごとくこころよくなりて、大いに病毒減ずるものなり。
其の様子をしらず、瞑眩したる時、驚いて外の医者を頼み、所謂補剤を用ゆれば、時の間に快気する故、すでにあら療治にて死なんとしける所、補薬を与えられ、命を拾いたるようにおもい、益ます古方を恐るる事、前かたよりも甚だし。
是れ補剤にて治したるにはあらず。
以前の薬気つきて快気したるなり。
是れをもって古方を信ぜず。
又、用いざるいぜんよりは、甚だ恐るる事をしるべし」と。


十二、或いは問うて曰く、「後世の医に問うに、『病毒尽くは去らぬものなり』という。当家にてはことごとく去るといえり。いかん」と。

答えて曰く、「病毒は生まれて後、生じたるものゆえ、毒薬にて取り去らるるものなり。
其の証拠は、大病を療治して快気の後、再びおこらず。
又、やわらかなる薬にて、気を補い、体を養うという医者は、大毒の薬を恐れて用いざる故、毒の去る道理なし。
然れども彼の療治にて、病に治する事あり。
是れは実に治したるにはあらず。
自然と毒の静まりて快気したるなり。
其の証拠には、又重(かさ)ねておこる。
それゆえ毒ことごとくは去らぬというものなり。
疾医は尽く去る。
それゆえ重ねて発する事なし」と。


十三、或いは問うて曰く「老人、小児、又は甚だ疲れたる病人に、峻剤を用いる事いかん」と。

答えて曰く、「死生の事明らかに了解せず、又、術の手に入らぬ人は、甚だなしがたき事なり。
死生の事を了解したる人は、たとえいかようにつかれたる老人、小児にても、此の病は、此の薬にて治するという事を、得くと心に覚えたる故、はげしき薬を用ゆ。
又、了解せざる人は、薬毒に堪えずして、死する事もあらんかと惑う心ありて、薬を用ゆることあたわざるものなり。
其の死する病人は、いかようの毒薬を用いても、病毒動かざるゆえ、瞑眩せず。
瞑眩すれば病毒減ずるゆえ、たとい命数尽きて死するとも、病苦をまぬがれ、やすらかに死するものなり。
夫れ薬は、体を養うものにあらず。
腹中の毒を取り去るものなり。
腹中に毒あれば、食すすまざるゆえに羸痩なり、其の毒を取り去れば、食すすみて体を養い、丈夫になるなり。
然るは、大いに痩せおとろえたる人は、大いに毒ある故なり。
いよいよ薬をはげしく用ゆべし。
殊に老人、小児は変ずる事のはやきものなり。
其の故は、病毒盛んなる時は、病毒に堪(たえ)かね変ずることあり。
それゆえ用ゆべき場所を手ぬかりては、又用いがたし。
必ず恐るべからず。
たとえ今も死ぬるように見ゆる病人にても、其の毒に撤する毒薬を用ゆれば、大いに汗し、或いは吐し、或いは下りて、夢の覚めたる如く、こころよく治するものなり。
彼の『傷寒論』に「強人は一銭匕(び)、羸人は半銭匕」というのは、後人の?入なり、惑うべからず」と。


十四、或いは問うて曰く「彼の大毒の薬を用い、直に死するものあり、それにても薬にて死したるにあらざるか」と。

答えて曰く、「薬にて死したるにはあらず。死ぬべき時節にて死にたるというものなり。
その故は、死ぬるものは薬毒にあたらず、何ともなきものなり。
又、藥毒にあたり悩みても、吐瀉する程の勢いなきは、既に腹中の毒盛んなるゆえなり。
扁鵲といえども、いかんともする事なし。
唯だ証に随い、薬を与え、天命を待つのみ」と。


十五、或いは問うて曰く「毒薬にて死なぬと言いがたし。既に古昔より毒殺という事あり。然るに河豚魚の讃(さん)に『獣名にして魚、何の神なるや、毒は、毒に毒して、人に毒せず』と云い給う。いかん」と。

答えて曰く、「薬と斗(ばかり)いうは、後世の事なり。
古書には毒とあり。
いまだ薬とばかりいいたる事を聞かず。
『周礼』に曰く『毒薬を聚めて医事に供す』と。
『素問』に曰く『毒薬は邪を攻む』と。
又曰く『病を攻むるに毒薬を以ってし、精を養うに、穀肉、果菜を以ってす』とあり。
其の毒薬を人に与うるものゆえ、知らぬ人は恐るる筈なり。
夫れ薬の貴さは、功あるをもって貴しとす。
若し毒殺と云い、薬にて死したる時は、薬というものなくなるや。
又、病を治する薬方を用ゆるは、人の病苦を救うためなり。
薬や同じ毒薬なれども、唯だ薬方のくみ合せの違いなり。
能く其の事を得たる人は、毒薬を用いるに恐るる事なし。
しらぬ人は、甚だ恐るる。
たとえいかなる英雄、豪傑にても、知らざることはおぼつかなし。
又、一文不知の人にても、其の様子をよくしりたる事は、覚束なき事なし。
吾が輩の毒薬を用ゆるも亦た然り。
此の毒薬にて、此の病は治するという事を知りたる故、少しも恐るる事なし。
何程の大毒を用いても、只だ病治して、外に害はなきなり」と。

医事惑問 巻上 終


 
医事惑問 巻下

一、或いは問うて曰く「今の名医、朝鮮人参をもって気を補うという。しかるに気に拘らずして療治し給う事、いかん」と。

答えて曰く、「元気は、天地根元の気にして、人の胎内にやどる時にうけ、造化の司所ゆえ、人力を以ってうけ、変える事あたわず。
其の気虚する時は死ぬるなり。
其の長短は、天にまかすべし。
此の故に天子諸侯たりといえども、心のままにならざるものなり。
なんぞ草根木皮を以って気を補助することを得んや。
古語に曰く『病を攻むるには毒薬を以ってし、精を養うには穀肉果菜を以ってす』とあり。
いまだ薬をもって精を養うという事を聞かず。
仲景も、人参は痞?を治すというて、ついに気を補うという事なし。
気を補うというは、疾医絶えて、遥かに後世の人の説なり。
唐の世迄もいわざる証拠には、孫思?が『千金方』に『人参なき時は茯苓をもってかえる』といえり。
此の証あやまるといえども、『人参は元気を養う』とはいわざる事明らかなり。
誰人か、『茯苓は元気を補う』といわんや、然るに後世の医家、好んで元気の事をいい、或いは気積、或いは気虚と、専ら気の事をいうは、『内経』によりてなり。
其の『内経』は、後世の偽作にて、取るべき古語は少なり。
もとより元気は、天地の司るところゆえ、人のいうべき所にあらず。
故に聖人、かつていいたまわざるなり。
又、人参、元気を養うというは、唐の甄権(しんけん)より初るなり。
詳に『薬徴』に弁ずるゆえ、ここに略す。
余、今心下痞?に朝鮮人参を用ゆれども、其の毒治せず。
本邦吉野人参は、痞?に用いて効あり。
故に余は、和参を用いて、朝鮮参を用いざるなり。
昔は和漢ともに、人参味い苦しという。
『本草綱目』にも、雷公桐君、味い苦しといえり。
日本にても、天暦帝の朝源順の『和名抄』に、人参の和名、『くまのい』とあり。
熊胆の味い苦きゆえに『くまのい』と名付けたるなり。
然るに今の朝鮮人参は、味い甘く製したるなり。
製せずして甘しというは、偽なり。
用ゆべからず。
(人参の味い、天地により、或いは糞壌を経て甘き事あり。然れ共、心下痞?に用いて功なし。故に疾医は、甘味の人参を用いざるなり)

 本邦の人参、慎んで必ず製すべからず。
本味をそこなう時は薬効なし。
且つ又、積気、気虚などとはいいがたし。
いかんとなれば、気は形なきものなり。
何にても其の物あれば、皆気あり。
人生きて居る時は気あり。
死すれば其の気絶ゆ。
是れ天地自然にして、形なく、造化の司る所ゆえ、人の積むべきものにあらず。
毒は形ある物なり。
故に積毒とはいうべし。
積気とは言うべからず。
たとえば火は爐にも積むべし。
火気は人の手にて積もれぬものなり。
是れ火は形あり。
火気は形なきをもってなり。
故に元気補瀉の事、医者の手に及ぶ事にあらざるをしるべし」と。


二、或いは問うて曰く「毒薬にて病毒解して、病は治すれども、跡あれて死ぬるという人あり。いかん」と。

答えて曰く「さようの事ありては、扁鵲、仲景もやくにたたぬなり。
余、数十年疾医の道を信じ、毒の所在を視て方を処す。
其の的中するの術、手に得て、心に応ず。
今、千万人を療治するに、何程危うき病人にても、毒薬を用いるに、大いに瞑眩すれば、其の毒大いに減ずる故、其のあと甚だこころよし。
いつ迄も毒の尽くるまで用ゆれば、終いに全快して、再び発(おき)ぬ様になり、跡のあれたる事なし。
たとえ瞑眩しても、病毒尽きざれば、又発(おこ)るなり。
又発きたる時、他の医者にたのみ、かようの薬を用いたる事ありと語る其の医者、陰陽の理をもって考え、強き剤にて臓腑傷れたるなどと心得、補薬にて取立ん抔(など)と思うは、甚しきあやまりなり。
すべて耳目鼻口の用、五体の動く事、いかようのからくりにてうごくという事しれぬものなり。
まして腹中にある臓腑の、あれる、あれぬという事を外より知るべき道理なし。
其の知れぬ事を、古人、陰陽の理をもって書記したる事多し。
今の医家、其の意を受けて考えるゆえ、毒薬にて臓腑を傷るとおもうも尤(もっと)もなり。
当時、古方は諸人恐るる事ゆえ、世に阿媚(あび)し、表向きは古方をそしり、内証にては大黄の類を用ゆる事多し。
是れをもって見れば、あとのあれぬ事合点(がてん)なれども、療治の妨げになるゆえ、右のごとくいう事と見えたり。
あとのあれぬ証拠は、前にもいえごとく、病毒の尽くるまで毒薬を用い、一切補薬を用いざれども、すこやかに成るにて知るべし」と。


三、或いは問うて曰く「古方には、産前、産後、其の外一切血に拘らずといえる事、いかん」と。

答えて曰く「姙娠は、婦人の常なり。
病なき産婦に薬を用ゆる事なし。
血は造化の司り(りは不用?)なり。
造化の司と人間の司と混ずる事は、聖人の道にあらず。
故に血にかかわらずして療治するなり。
前にもいうことく、漢の太倉公、専ら造化を人事にまじえて論ぜしより、疾医の道絶えたるなり。
夫れ五体の内に、色々の物あり、赤きを名付けて血といい、白きを名づけて水といい、皮膚に出るを汗という。
是れ造化の作りたる事、いかようにして作りたる事やらん、はかられぬ事なり。
医者の預かる所にあらず。
然るに今、大いに血出ずれば血脱と名づけ、血を養い、気を養うなどという事もあり。
大いなるあやまりなり。
天地自然の事ゆえ、何程出るともそれに拘わる事なし。
既に吐血して死する者有り、亦大吐血し、病毒を吐きて無病になるものあり、其の吐血、衄血、下血等を病むは、各々その毒あるゆえなり。
唯だ毒薬をもって、其の病毒を取り去れば、血は自然と止まるべきはとまり、出ずべきは出で、病治するなり。
既に吾が家、いにしえより吉益の産前、産後、金瘡とて、天下にとなうる家なれども、余は、なさざるなり。
又、婦人の姙娠するは、是れ人事のようなれども、人事ばかりにあらず。
天命なり。
其の証拠は、世嗣の子なきとても、力に及ばず。
是れ造化の自然ゆえ、人力の及ぶ所にあらず。
彼の求子の方(ほう)などにまようべからず。
是れ後世陰陽家の説なり。
只、扁鵲、仲景のごとく、毒薬をもって病毒を去れば、病治するゆえ、胎養も調い、産の安し。『傷寒論』『金匱要略』に、婦人の病をいう事は、皆後人の?入なり。
用ゆべからず。
右のごとく天地自然の事ゆえ、産前も産後も、療治にかかわらぬ事知るべし」と。


四、或いは問うて曰く「疾医は、既に血に拘わらずして療治するといえり。然るに仲景は、吐血、衄血に三黄瀉心湯、?帰膠艾湯を用ゆる事、いかん」と。

答えて曰く「吐血、衄血を治するということにあらず。
心胸の間に毒あって悸するときは、吐血、衄血にかぎらず、痢病にても、俗にいううつかえにても、いかようの病証を兼ぬるとも、三黄瀉心湯にて治す。
又、吐血、衄血にても、心胸の間に毒なき病人に用いては、薬効なし。
是れをもって吐血、衄血を治する薬にあらざる事をしるべし」と。


五、或いは問うて曰く「孔夫子は、姜を撤(すて)ずして食し給い、曽暫(そうせき)は、常に棗を食し給う、是れ薬物なれば、毒なるべし」と。
答えて曰く「毒と食との義、明らかならざればわからぬものなり。
夫れ薬には攻の意あり。
食には養うの意あり。
攻むるには、すききらいに拘らず、養うには、すききらいにしたがう。
たとえば粥抔(など)も、薬方をたすくるには、きらいに構わず、強いて用ゆ。
養うには、きらう物を去るなり。
姜棗も、薬に用ゆる時は、きらう人にも強いて用ゆ。
其のきらう所の姜棗、病毒にあたり合い、大いに吐瀉して病毒治すれば、初めきらいの物も、ことごとく食せらるるなり。
孔夫子の姜、曽暫の棗、皆好物にて食し玉えば、養いにして毒にはならぬものなり」と。


六、或いは問うて曰く「汗多亡陽とて、汗多く出ずれば、陽を亡して死するという事あり。いかん」と。

答えて曰く「なき事なり。
夫れ汗は、造化の司にして出来たるものなり。
出る故も、出ぬ故も、人のしらるる事にあらず。
彼の陰陽医、尤もらしく論ぞれども、臆見ゆえ実事には合わぬなり。
余、諸病を治するに、汗の多少に拘わらず。
其の病毒の所在を見て、其の毒に方をつけて療治するに、的中する時は、大いに汗し、或いは吐血、或いは衄血、或いは下血し、種々の穢物(わいぶつ)を吐下する事あり。
其の汗も、血も、穢物も、出るままにして止むる事なし。
然るに彼の病毒出尽くる時は、汗も血も、おのずから止りて健かになるなり。
もとより病毒に毒薬のあたりあいて汗出るゆえ、大いに汗出ずれば、病毒大いに減ず。
随分汗の多く出るはよき事なり。
しかるに後世の医、麻黄にて汗を発し、其の汗止まざれば、陽を亡して死するといい、其の汗を止める薬を用ゆる抔(など)という事あり。
大いなる誤なり。
若し出ずべき汗を薬にて止まる時は、発すべき毒、腹中に残りて、健やかにならぬものなり。
甚しき害になる事とおもうべし。

前かた南部候、京屋鋪の留主居某、腫満を患い、余に診治を乞う。
則ち是れを診するに、喘鳴迫息して煩渇し、小便通せず、因りて大青竜湯と与う。
是れを用いて四十日ばかりを経るとも薬効なし。
其の節、南部の門人左右にあり。
其の薬方の当否を疑う。
余曰く『薬効の遅速、はかるべからず。方は能く的中せり(』?)と教ゆれども、猶うたがう色あり。しかれども其の薬を用ゆる外に、病証に的中する方なし。
故に猶、大剤にして用ゆ。
其の後二十日ばかり経て、『只今急変あり』と告げ来る。
行きて見れば、前証益す劇しく、悪寒戦慄、漉々(ろくろく)として汗出で、今も落命するかと、家内さわぎけるに、余曰く『もとより生死はしらぬ事なり。然れども薬は、かくのごとく瞑眩せざれば治せぬものなり』といい、猶又前剤を用いければ、終夜大いに汗出で、衣をかゆる事六七度なり。
其の翌朝に至り、腫満半減し、喘鳴治し、小便快利す。
其の後十日ばかりして常に復す。

かくのごとく大いに汗の出る病人に、彼の汗を発すれば死するという麻黄を用ゆれども、陽を亡して死する事なく、汗は自然に止りて快気したるなり。
漢書に曰く『諺に云う、病有りて治せざれば、中医を得る。』と。
此の語は、病気の時、医者を頼まず、すてておけば、中医に療治頼みたるも同じきという事なり。
中医というは、十に七を治すといいて、上手の次なり。
此の語をもって見れば、漢の時さえ、病を治する事あたわず。
まして今世に至り、病を治する事かたし。
実事をとらず、規矩準縄なき陰陽の理をもって教えるゆえ、歴代各見識かわり、今に至りて医を学ぶ人、何れを手本とすべきようなく、銘々のすきたる門に入り、執行して療治するなり。
その輩にて、汗多く出れば、陽亡(うしな)いて死すると推量したるにてこそあらん」と。


七、或いは問うて曰く「生まれし時より、天性弱き人あり、又、強き人あり。其のつよき人は、汗吐下して病の治する事もあるべし。弱き人、又老人などは、汗吐下に堪えずして死すべし。いかん」と。

答えて曰く「老人、小児の、壮年より弱きは、天地の常なり。
病毒あれば常を変ず。
却って人にすぐれてよわきは、皆腹中に毒あるゆえなり。
其の毒を取りされば、皆つよくなるものなり。
くわしき事は、第十二章目にて見るべし。
余、数十年来、老人、小児の諸病を治し、いよいよ薬毒にたえずして死することはなしという事、手に覚え、心に得たり。
余が門に入り、実事を学ばざる人には、論ずれども通じがたき事なり」と。


八、或いは問うて曰く「上工は未病を治すという事、医書に有り。疾医にもある事か。いかん」と。

答えて曰く「是れ疾医の語ならん。
今の陰陽医にては、『未だ病まざるを治す』という語解しがたきゆえ、相生相剋の義をもって解す。
たとえば肺は金、肝は木、肺亢(たか)ぶるときは、『金は木を剋す』とて、肝木を剋して、肝を病ましむる事を知り、其の肝いまだ病まざるさきに、肺を瀉して、肝を補い、余の病いを肝に受けぬようにする事なりという。
是れ口にはいいても術には成る事あたわざるなり。
したがうべからず。
又、疾医の語なりというは、都(すべ)ての人、病毒静まりてある時は、毒なしとおもうものなり。
其の腹をうかがうに、病毒のある人多し。
其の病毒動く時は、百病を発し、気を病ましむるなり。
其の静まりてある時、病毒を取り去れば、百病を発する事なし。
是れをいまだ病まざるを治すというならん。
後世の説に迷うべからず」と。


九、或いは問うて曰く「先生、常に扁鵲、仲景も万病を一毒と見られしといえり。然るに『史記』『傷寒論』に見えざるは、いかん」と。

答えて曰く「古昔、扁鵲の薬方を、漢の仲景伝記せしを、晋の叔和撰次したるは、今の『傷寒論』是れなり。
彼撰次の時、叔和己(おの)がことを加えたるか、仲景の本位に合わざる事甚だ多し。
すなわち其の書にいわく『傷寒云云、小柴胡湯之れを主る。中風云云、小柴胡湯之れを主る。経水適(たまた)ま断ち、熱入血室云云、小柴胡湯之れを主る。宿食有り云云、小柴胡湯之れを主る』と。
是れをもって見れば、傷寒も、中風も、?血、宿食も皆、小柴胡湯にて治するように見ゆれども、此の一方にて治せず。
胸脇苦満に、小柴胡湯を処して治すれば、以前の諸症皆治するをもって、傷寒、中風、?血、宿食等は、後人の?入なる事知るべし。

右のごとく、病因替(かわ)り、なんぞ薬方のかわらざる道理あらんや。
夫れ諸病ともに一つの毒ありて、其の毒動き、万病を発すなり。
故に万病、ともに小柴胡湯の症を発すれば、小柴胡湯をあたえ、桂枝湯の症を発すれば、桂枝湯をあたう。
各々其の症に随いて、是れを治す。
是れ仲景の万病を治するも、一つの毒を目当にしたる事明らかなり。
扁鵲曰く『病応、大表に見わる』と。是れ『大表に在る』といわず、『大表にあらわる』という時は、則ち腹中に一毒ある事知るべし。
其の毒動きて万病を発す。
頭にありては頭痛をなし、腰にありては腰痛をなし、足にありては痿躄(いへき)をなすの類、千変万化、あげて数うべからず。
是れ扁鵲、仲景も万病一毒と見たる事明らかなり。
彼の『傷寒論』『金匱要略』の語にては、万病治せず。
是れ後人の?入ある故なり。
扁鵲、仲景の通り、万病一毒の意をもって?入を取捨すれば、治せざる病なし。
病の能く治するをもって見れば、扁鵲、仲景の言葉違う事なきなり」と。


十、或いは問うて曰く「古方とは、仲景の方是れなり。今専ら控涎丹、滾痰丸、七宝丸等を用ゆるをもって見れば、古方と云いがたし、いかん」と。

答えて曰く「古方というは、世の唱なり。
此の方には、病の能く治するを法とす。
方に古今なし。
唯だ験効あるを用ゆるなり。
しかれども後世には、効の有る方すくなく、古者には多きゆえ、古昔の方を多く用ゆるなり。
是れをもって、世上の人、名づけて古方と唱う。
何ぞ方に古今の差別あらんや」と。


十一、或いは問うて曰く「仲景の治跡を見るに、一病一方なり。今、煎湯に丸散を雑(まじ)え用ゆる事、古きことなり、いかん」と。

答えて曰く「異なるにあらず。『傷寒論』『金匱』にも、大便通ぜざる時は、先ず調胃承気湯をあたえ、大便通じて後、証に随って薬を用いたる事あり。
古になしというべからず。
且つ又、名医とは、病能く治す人の名なり。
扁鵲の名の朽(くち)ざるも、能く病を治したるゆえなり。
たとい扁鵲のなさざる事なりとも、病の能く治する事あらば、皆取り用ゆべし。
能く病治する時は、則ち古の名医の意に適うものなり。
彼の『傷寒論』『金匱要略』の如き闕文もあり、?入もあり。
其の後、歴代色々の説ありて、古人の意を失す。
其の書籍に泥みては、生涯術を得る事あたわざるなり。
今、丸散を兼用するも、病毒よく治する故なり。
疑いあるべからず」と。


十二、或いは問うて曰く「毒という名目を立て、其の毒、風寒暑湿燥火、或いは食物にて動くという。是れも因なり。然るに因を論ぜずという事いかん」と。

答えて曰く「此の毒、何の毒にして、何によって動くという時は、因を論ずるというものなり。
吾れいう所は、しからず。
其の毒、何によって生ずるや、何によりて動くという事はしらず。
唯だ毒の所在を視て、療治するなり。
因を論ぜずという主意は、臆見に落ちて治療なりがたく、殊に道を害する事あるゆえなり。
其の発る故のなきというにはあらず。
其の発る故をほりうがちて論じ、理を窮(きわ)むる事、人力の及ぶ所あらず。
しかるに後世の医は、専ら其の理を窮むる事をつとむ。
然れども病を視定めざるゆえ、日々方を変ず。
なんぞ病を見定めて、薬方を変る事あらん。
是れ口には病因をいえど、心にしらざる故なり。
たとえ因をしるとも無益なり。
因なしと云うは無理なり。
唯だ空論、理屈にて、道に害あるゆえ、吾が党にはいわざるなり」と。


十三、或いは問うて曰く「目に見えぬ事はいわず。故に肺癰抔(など)といわず、といえり。然れば毒も腹中にありて、見えぬものゆえ、臆見に似たり。いかん」と。

答えて曰く「肺癰は、肺に癰を生じ、腸癰は、腸に癰を生ずるというは、臆見なり。
皆腹中の事にて知らぬ事なり。
毒も腹中の事なれども、是れは腹を按じて、毒のつく所を候い、その毒の形状見るゆえ、臆見にあらず。
彼の肺癰、腸癰も、胸を肺の位と見て、脇痛、臭気甚しき膿血を吐したるを見て、肺癰といい、腸のあたりにて痛み、膿血の下るを見て、腸癰という時は、さのみ害はあるまじ。
しかれども療治の助けならぬ事なり」と。


十四、或いは問うて曰く「『周礼』に『医師職は、年終れば則ち其の医事を稽(かんが)え、以って其の食を制し、十全は上と為し、十に一を失するは之れに次ぎ、十に二を失するは之れに次ぎ、十に三を失するは之れに次ぎ、十に四を失するは下と為す』といえり。是れにて見れば、今昔より医を正すには、病人の生死にて考う。然るに医者の生死をしらぬという事、心得がたし」と。

答えて曰く「『周礼』といえども、聖人の作といいがたし。
たとえ聖人の作というとも数千年の間には、?入はかりがたし。
なんぞ死生をもって事を計るあらん。
聖人も『死生命あり』とのたまい、扁鵲も『死せる人を生かすにあらず』という。
是れをもって見れば、生死にて上工、下工をはかりたるは聖人の意にあらず。
用ゆべからず。
『内経』に『上工は、十に九を全うす』といえり。
死する人は、神農、扁鵲にても、助くる事あたわず。
又、天命尽きぬは、病悉く治する事なり。
十人ながら生かすとは、いわれぬ事なり」と。


十五、或いは問うて曰く「古方の療治にて病治する事は、速(すみや)かなれども、害をなす事多しという人あり。いかん」と。

答えて曰く「すべての事善しと思い、信仰して随う時は、其のあしき事見えぬものなり。
又、あししと思う時は、其の善き事見えず。
善悪わかちがたきものなり。
其の善悪を正さんとおもわば、実事をもって見るべし。
軽き病にては知れがたし。
世にいう?噎、脹満、癆咳、癩病、癇、??、其の外、世上に難治という病人を百人療治して、余は七八十人を治すべし。
後世の医は、百人の中、十人を治する事あたわず。
是れをもって善悪をしるべし。
病能く治する時は、何の害する事かあらん。
しかるに病は治すれども、害する事多しといえるは、療治の中に死したる病人の事にてあるらん。
前にもいうごとく、死生は造化のなす事故、医者の力に及ぶ事にもあらず。
今昔より十人にて九人治するを、上工という。
百人の中、大抵十人斗(ばかり)死するは、天命の尽きたる人なり。
彼の後世の薬方は、病毒にあたらぬゆえ、瞑眩せず。
それゆえ死しても薬の害にあらざるように思うべし。
又、死なぬ時は、病治して生きたるようにおもえども、是れは薬の効にはあらず、なんぞ病根を取らずして、病の治すべき道理あらん。
自然と病毒静まりて快気したるなり。
それゆえ故(もと)に復する事遅く、其の上、重ねて毒動きて、度々病ましむるなり。
余(世か?)に是れを持病という。
なんぞ又、持病という病あらん。
是れ病を治する事あたわざるゆえ名づけたるなり。
又、疾医は、其の毒の形状を診て、薬をあたえ、病根を抜き去るゆえ、再び発らぬものなり。
其のふたたび発らぬようにすれば、病根動くゆえ、必ず薬、病毒にあたりて瞑眩す。
其の瞑眩を恐れて、害する事とおもうは、大なる誤りなり。
前にもいうごとく、薬は体を傷るものにあらず。
唯だ病毒にあたるものなり。
其の証拠は、瞑眩すれば病毒減じ、其のあと格別健(すこ)やかになるものなり。
是れをもって害する事なき事をしるべし」と。


十六、或いは問うて曰く「方意を得ざるは、医にあらずといい給う。然るに風邪にて、大いに熱し、譫言するものに、紫円を用い、又、諸国の人に、紫円、?黄散等を与え、何病にかぎらず用ゆべしといい給う。かくのごとく、病症も見ず、薬を与え、なんぞ薬方の的中する事あらん」と。
答えて曰く、「扁鵲、仲景の法は、病のよく治する術なり。
たとえ後世の薬法にても、病よく治する時は、則ち扁鵲、仲景の法にかなう。
又、扁鵲、仲景の用いたる方にても、今行いて効なき方は、取るべからず。
孔子も、先王の法にあらざれども『国家に益ある事は、我は衆にしたがわん』との給う。
一概に法を守り、或いは書籍に泥(なず)む人は、術を得る事あたわざるなり。
是れを馬服君が子といわん。
彼が謂う所の、風邪にて大熱、譫語するものに、紫円を用ゆれば、吐瀉して治す。
然れども湯薬に兼用するにはしかず。
其の用ゆる故は、歴代の医の論に、邪気表にあるを、誤りて下利の薬を用ゆれば、薬気に引かれて、邪気裏に入りたる事なし。
かくのごとき臆見の説、甚だ医術に害あり。
其の害を除かんため、専ら用いて門人に示すものなり。
又、諸国の人に与える事あり。
是れも亦、症に随いて湯液を与え、丸散を兼用するにはしかず。
然れども、諸国の人、京都にのぼる事あたわざるの類、いかんともすべき事なし。
故に丸散を与えるに、皆効あり。
まえにもいうごとく、万病ともに、一つの毒より生ずるものゆえ、其の毒、丸散にて舒々(じょじょ)に減(げん)ず。
怠らずに用ゆれば、終(つ)いに病毒尽きて、全快するなり。
かくのごとく効の立つ事は、皆法に合(かな)うなり。
病よく治するをもって法とすべし」と。


十七、或いは問うて曰く「世にいわゆる沈痼病抔(など)とて、五年も十年も療治して、治せざる病、大かた治して後に、変症おこり、大熱を発し、譫言妄語する事、いかん」と。

答えて曰く「前症を治したるにはあらず。
病毒尽きざる故に、又、大熱を発し、譫言妄語するなり。
其の病毒を得(とく)と去るときは、再び発(おこ)らぬものなり」と。


十八、或いは問うて曰く「生死の十日か二十日にきわまる大切なる病人にては、即効見え、又、尋常の病にては、即効見えがたき事、いかん」と。

答えて曰く「凡そ毒の動く時は、去りやすきものなり。
十日か二十日のうちに、生死のわかるる程の病は、病毒十分動いてある故、速やかに薬効見え、又、尋常の病は、病毒十分に動かざるゆえ、去りがたし。
それゆえ、傷寒、時疾、痢疾、吐血なんどとて、世に大切にいう病人は、却って速やかに全快するなり。
『建殊録』にても、見るべし。
其の良効のあるとなきは、毒の動くと動かざる故なり、と心得べし」と。


十九、門人問うて曰く「病を治するは方のみ。故に師の伝えるは方意なりと聞く。然るに先生の教えのごとく、毒の在るところを見定めて、方を処すれども、治しがたきゆえ、其の病人、先生に治を求め、先生も同方を処し給うに、其の病治す。是れ何という事ぞ」と。

答えて曰く「道を得ると得ざるとのみ」と。


二十、又、問うて曰く「先生、常に二三子を教うるに、医の学は方のみといえり。然れば、方の外に道はなきはずなり。然るに道を得ると得ざるとのみ、と聞くときは、方の外に道ありや、いかん」と。

答えて曰く「夫れ医者は、病を治するものなり。
病を治するは方なり。
故に医の学は方のみという。
しかれども、道を得ざる人の方を処するは、死物になりて、動かす方は、道によりて活動するものなり。
故に道を得ると得ざるとのみという。

夫れ道は、行の名なり。
たとえば往来する道のごとし。
人の往来するも、其の道を得れば、往来する事自由なり。
其の道を得ざれば、ゆきき成りがたし。
療治するも、道を得たると得ざるとは、大いに違いあり。
其の道を得んとなれば、先ず第一に、生死は天の司にして、人の司所にあらず。
医者は、只だ疾苦を救う職分にして、万病唯だ一毒なりと心得、一毒を取り去る療治をなし、生死に迷わぬ時は、道よく達し、方よく廻り、病よく治す。
但し病毒を去る事、能く手にいりたる後ならでは、生死をしらぬという事、心に決定なりがたし。
依りて医の学は方のみにして、道は子にも伝えがたく、自得を待つものなり、かえすがえす生死の事をいうは、一人にても道を会得せしめんがためなり。
医道の大事はここにあり。
能々考え知るべし」と。


二十一、又、問うて曰く「道は行の名という事は、既に命を聞く。方の活物のごとくになるという事、詳(つまびら)かにこれを聞かん」と。

答えて曰く「道を得ざれば、方意を得る事あたわず。
方意を得ざれば、道を得る事あたわず。
其の方意を得ざる人は、同じ方を用ゆれども、心に疑い起る故、なしとげる事あたわず。
得たる人は、此の方にて、此の病毒の解するという事を知り、たとい死すとも、外に用ゆる方なしと、心に決定して薬を用ゆるゆえ、死すれども方を変えず。
病苦は日々に治するなり。
方意を得ざる人は、方につかわれ、方意を得たる人は、方をつかう故に、方意を得て、方をつかう時は、自由自在なる事、人を使うがごとく、是れを活物のごとくするというなり」と。


二十二、又、問うて曰く「道を得る事、得て聞くべきか」と。

答えて曰く「言いがたし。
しかれども余が執行したる事をいうべし。
夫れ万病唯だ一毒という事、『医断』に著したるは、既に二十年ばかり以前の事なり。
然るに万病に唯だ一毒なる事を自得したるは、漸(ようや)く此の八九年のこのかたなり。
其のもとは、『呂氏春秋』に鬱毒の論あり。
扁鵲の伝に『越人の方を為すや、切脈、望色、聴声、写形を待たずして、病の所在を言う』とあり。
『傷寒論』に、傷寒にも、中風にも、寝食にも、?血にも皆、小柴胡湯を用いてあり。
是れによりて、万病皆一毒という事を覚悟し、『医断』に記したれども、其の術を得ず。
只だ書籍によりて書記したり。
それゆえ薬を与うれども、心に疑いを生じ、始めつけたる方を、病の尽くるまで用いる事あたわず、遂に方を変えるなり。
其の方のかわるゆえに、未だ一毒の術を得る事あたわず。
是れによりて古を稽(かんが)えて、方意を探り、療治に狎習い、自然のごとく方を扱いしよりこのかた、病の治する事、格別なり。
病の能く治するに随いて、一毒の術を心に得たり。
其の疑いなき事、たとえば知りたる道を往来するがごとし。
是れを道を得たるといわんか」と。


医事或問 下 終り 
医事或問 跋

「非常の原なるを黎民(れいみん)懼(おそ)るる。其の成るに臻(いた)るに及んで、天下晏如(あんじょ)なり」と司馬相如(しばそうじょ)の書きしも、まことなる哉。
我が翁、もろこしの扁鵲のあとを尋ね、たえて久しき彼のながれをくみ、更に此のやまとの国に道を起し、あめが下にあまねくひろまりぬ。
はじめのほどは、人ごとにいぶかり、重いてあやしきわざ、などとそしりけれども、もとより聖人の道にして、私ならねば、世に治しがたきという病も、ことごとくに癒え、死せりと見えしも、忽ちに蘇生などする。
まま、その術の、まさに奇しく、妙なるさま、ちかく目に見え、遠くおとに聞こえけるまま、四邦人、この翁をしたうあまり、糧をにないて、門に市をなせり。
さるを、異流の人は、あらぬさまにいいくだし、そら言を筆して、世にかい散らせば、ものの心しらぬ人は、其のことにまどいて、いみ恐るる人も侍るとかや。
翁、もとよりその傍頗(ぼうは)を思わず。
ただに人を救うの術をもととして、病に苦しめるひとをたすけんとなり。
さるを横ざまに思いをとどめ、いいののしるあまり、わざわいを後世まで残し侍りぬ。
翁、是れをかなしみ、速やかにまどいを解き、さとすとて、その言の葉をかきあつめ、『医事或問』と名づけ給う。
其のよう、あやしの山賎(やましず)、しおくむあまも、よく思いわくべきように、ただことばにつづり給えと、党の二三子、心をとどめて見給いなば、此の道の術を得るたすけにもならんかし。

 明和戊子のとし

 男猷之